シャボン&ピース

シャボン宮殿での日々の一コマ

アレッポ after bath

 

 

 

バスローブを着たシャボナンが入ってくる。ソファではシャボニーナが紅茶を飲んでいる。傍らにはIpad

シャボナン  「あー、気持ちよかった。やっぱり日本のお風呂は最高だね」


シャボニーナ (顔を上げて)「あら、今日は日本のお風呂にしたのね」

シャボナン  「そうだよ。いつも西洋風のバスルームじゃつまらないからね。いろいろな国のお風呂があるのがこの宮殿のいいところなんだし。いやー、それにしても湯船に入って身体を伸ばす時の気持ちよさったらないね。思わず『くーっ!』って声が出るよ」


シャボニーナ 「もうあなたも立派な日本のオジサンね」(カップをテーブルに置いて)「で、肝心の石鹸はどうだったの?最初の評価はずいぶん低かったみたいだけど?」

シャボナン  「いや~、それがね」(持っているタオルで頭を拭く)「人は、いや、石鹸は見かけによらないっていうのは本当だね」

シャボニーナ 「それはつまり?見た目のよくなかったアレッポは意外にもよかったってこと?」

シャボナン  「まあ、そういうことだね」(タオルを首にかける)

シャボニーナ 「でしょ?そういうことになるだろうと思ってたわ。悪いわけないもの、これだけ評判がいいんだから…ちなみにどこがよかったのかしら?」

シャボナン  「そうだなあ、まず第一に驚いたのはその粘りだね」

シャボニーナ 「ねばり?」

シャボナン  「そう。最初、手を少しだけ濡らして泡立てようとしたんだ。そしたらさ、驚いたことにさ、糸、引くんだよ、石鹸が」

シャボニーナ 「糸?」

シャボナン  「そう。石鹸から指が離れる時にね。こう、ねばーっと」(左手から右手を離すしぐさ)「びっくりしたよ。まさか石鹸が糸引くとは思わなかったからね。この後、もう少し多めに濡らしたら糸は引かなくなったけど、石鹸自体はかなりヌルヌルした。なんていうか、他の石鹸と比べてヌルヌル度というか、ぬめり度が高い気がする。ここは好き嫌いが分かれるところかもしれない」

シャボニーナ 「なるほどね。サラッとした感じが好きな人には向かないかもしれないってことね」

シャボナン  「うん」(テーブルの上のグラスを手に取る)「あとさ」

シャボニーナ 「まだ他にも?」

シャボナン  「この石鹸さ、粘土の匂いがするんだよ」

シャボニーナ 「粘土…?」

シャボナン  「そう、粘土。子供の頃遊んだアレさ」(と言ってからグラスの水を飲む)

シャボニーナ 「私はそんなに粘土で遊んだ記憶がないんだけれど、どんな匂いなのかしら?」

シャボナン  「うーん、なんて言えばいいんだろう。泥に油を混ぜたような匂いかなァ。うまく言えないけど…とにかく粘土の匂いだね。あの頃は匂いなんて気にならなかったけど、でも石鹸にあの匂いがするというのはちょっとどうかなあ」

シャボニーナ 「あらー、見た感じがイマイチで、水気が少ないと糸を引いて、おまけに粘土の匂いがするとなると、アレッポの石鹸はかなりポイントが低いってことじゃない?ここから持ち直しできるのかしら?」

シャボナン  「うーん…」(グラスをテーブルに置く)

シャボニーナ 「うーんって…あなたさっき、すごく良かったって言ったじゃない」

シャボナン  (人差し指でほおを掻きながら)「いや、その、良かったような気がしたという意味で、…すごく良かったかというと、その…」

シャボニーナ 「呆れた。じゃあ、大した根拠もなくよかったって言ってたわけね」

シャボナン  「いや、まったく根拠がないわけじゃないよ」

シャボニーナ 「じゃあ、言ってごらんなさいよ」

シャボナン  (小声で)「おっかない先生だなァ…えーと」(視線を上に向ける。それからシャボニーナの方を見て)「まず、石鹸自体が大きくてつかみやすかった。つかみやすいからタオルに泡立てやすかった」

シャボニーナ 「そう(まるで小学生的な感想ね)。あとは?」

シャボナン  「泡立てている時、タオルにこすりつけている石鹸の表面がすごくツヤツヤで、ニスを塗ったみたいな光沢があってキレイだった」

シャボニーナ (少し黙る。そして静かに話し出す)「あの…そういうことって別に無意味なことだとは思わないけど…石鹸に対する評価としては本質とあまり関係ないことじゃないかしら?」

シャボナン  (強く首を振って)「そんなことないよ、これだって大事なことだよ。本質的なことのひとつだよ。特にボクにとってはそうなんだ、石鹸がウツクシくなる瞬間、というのは」

シャボニーナ 「美しくね…」(少し引いた様子で)「あなた前から思っていたけど、ちょっと石鹸に対していびつなフェティシズムがない?普通そんなこと考えないわよ」

シャボナン  「いびつなフェティシズムって何だよ。それじゃ変な人みたいじゃないか。そうじゃなくて、石鹸に対する愛、そう言ってほしいな。石鹸愛、だよ」

シャボニーナ 「石鹸愛?」(笑う)「そんな言葉聞いたことないわ」

シャボナン  「なんでも最初は聞いたことがないんだよ。ニーナは知らないかなァ、プロ野球の巨人の原監督が――もうずいぶん昔のことだけど――『ジャイアンツ愛』という言葉を作って話題になったんだよ」

シャボニーナ 「知るわけないでしょ、そんなこと」

シャボナン  「とにかくボクには」(真面目な顔をする)「石鹸に対する愛がある。よき石鹸を愛している。これは譲ることができないんだ」

シャボニーナ 「分かった。分かったわ、シャボナン。誰もあなたの石鹸への愛を止めないから、あのね、少し話を元に戻しましょう。このアレッポの石鹸でよかったことは、持ちやすいことと、泡立てる時の表面のツヤと、あとは何かないかしら?」

シャボナン  「あとは、そうだな…泡が柔かい気がする。優しい泡といえばいいかな。だから身体も優しく洗えるような気がするね」

シャボニーナ 「泡が柔らかい…ちょっと伝わりにくいわね」

シャボナン  「タオルに泡立てた時のボクの印象だからしょうがないよ」

シャボニーナ 「ふーん、でもあなた、自分で言いながらそういったことがアレッポの石鹸を使い続ける理由になると納得できる?」

シャボナン  「うーん…」

シャボニーナ 「でしょ?あなたの話を聞いていると、使わない理由のほうが使う理由より説得力があるように感じるの。でもあなたはこのアレッポの石鹸はいいと言う。それは一体なぜなのかしら?」

シャボナン  「それはまったく理由のないことじゃないと思うよ」

シャボニーナ 「あら、どういうことかしら?」

シャボナン  「それはたぶん…」

シャボニーナ 「たぶん?」

シャボナン  「この石鹸から何かを受け取るからじゃないかと思う」

シャボニーナ 「え?」(目を見開く)「何かを受け取る?一体何を受け取るのかしら?」

シャボナン  「いや、これはボクがそう感じたということであって使う人みんながそうだとは思わないけど」(そう言って視線を落とす)「何か、そう、何かメッセージのようなものを受け取るんだと思う」

シャボニーナ 「メッセージ…」

シャボナン  「そう、この石鹸を通して、シリアの人々が、アレッポの人々が、何かを訴えかけているように、ボクには感じるんだ」

シャボニーナ (口を閉ざす)

シャボナン  「さっきも言ったようにこの石鹸には何か特別な魅力があるわけじゃない。姿かたちが美しいわけではないし、いい香りがするわけでもない。洗い上がりはひょっとしたら優れているのかもしれないけど、でもこのクラスの石鹸ならどれもがそれなりの力を持ってるし、これが特別優れているとも思えない。それに実を言えば、石鹸の精とはいってもボクは男だからそんなに微妙な差までは分からないんだ」(間)「でも…この石鹸はなぜか気になる。そこにあるだけで何かを発しているような気がするんだよ」

シャボニーナ 「それがつまりシリアの人々のメッセージだと?」

シャボナン  (ニーナを見返す。そして小さく笑って)「そんなわけないよね。我ながらヘンなことを言ったなあ。今日のボクはどうかしている」

シャボニーナ 「でも、もしメッセージだとしたら彼らは何を訴えているのかしら?」

シャボナン  「それは…」(シャボニーナを見つめて)「決まってるじゃないか、ニーナ」

シャボニーナ 「え?」

シャボナン  「平和、だよ」

シャボニーナ 「平和…?」

シャボナン  「そう」(大きく頷いてから笑う)「なんてね。本当言うとそこまでは分からない。彼らが平和の思いを込めてまでこの石鹸を作っているか、ということまではね。でも、これだけは言えるんだ、少なくともボクの意識の世界の中では、固形石鹸というのは…『平和の象徴』なんだ」

シャボニーナ 「平和の象徴…」

シャボナン  「そう、平和の象徴。ボクは――これは自分が石鹸の精だからかもしれないけど――昔から固形石鹸を見るとそこに平和を感じるんだ。ハハ、ヘンな話だろ?でもそうなんだ。固形石鹸を見る時、固形石鹸を使うとき、『平和』という言葉がボクの脳裏に浮かぶ。ボクの中では固形石鹸と平和は同じ一つのところから生まれたものなんだ。でもそこにはちょっとしたこだわりがあって、その石鹸は美しければ美しいほどいい。気品を感じるほど美しい石鹸は平和な時代にこそ生まれてくる。平和が生み出し、そして平和を生み出すものであってほしいんだよ、固形石鹸は」

シャボニーナ (黙って聞いている)

シャボナン  「ただ、今回使ったアレッポの石鹸はお世辞にも美しいとは言えない。にもかかわらず、ボクがそこからメッセージを感じるのはそれがシリアで作られたということが関係しているかもしれない。ボクの考えでは」(少し上を向いてから前に向き直る)「固形石鹸を作っているところが戦火の下にあるということは本来あってはいけないことなんだ。固形石鹸と戦争はまったく相いれないものなんだ。だから一刻も早くシリアの内戦が終わってほしいと思う。そして安全にこのアレッポが作られるようになってほしい。…石鹸の表面に押されたこの刻印も気になるしね、一体なんて書いてあるんだろう?」

シャボニーナ 「アレッポの石鹸、じゃないのかしら…でもそれにしては文字が多いような気もするわね」

シャボナン 「位置も真ん中からずれているしね。きっとシリアの人が手作業で刻印したんじゃないかな?おじさんが『あ~、腹減ったな~』なんて考えながらね。きっとそうだ」(笑う)

シャボニーナ (つられるように笑って)「そうね、シリアの国が一刻も早くそういう平和な社会に戻ってくれるといいわね」

 

 

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