若きシャボナンの悩み その2
シャボニーナ 「うーん」(首をかしげ)「でもやっぱりそれは仕方がないんじゃないかしら。だって世の中のものすべてが最後まで使い切れるわけじゃないし」
シャボナン 「…ずいぶんあっさりしてるね」
シャボニーナ 「だってそうじゃない、洋服だって誰もビリビリのすり切れになるまで着ないわよね。着れる洋服だって流行遅れになったり、あまりに長いこと着続けたら最後は捨てるわけじゃない?料理だって食べ残す人はいるわけだし、そういうのはしょうがないことなのよ」
シャボナン 「ボクは古い服ずっと持ってるし、食べ物は残さないけど」
シャボニーナ (苦笑いして)「えらいわね、シャボナンくん。でも食べ物はともかく、どうして古い服までとってあるの?着ることあるの?」
シャボナン 「…ない」
シャボニーナ 「着ない服は捨てたほうがいいみたいよ。最近ベストセラーになった本にも出てたわ」
シャボナン 「でもなんか捨てにくくて」
シャボニーナ 「どうして?」
シャボナン (指で頬のあたりを触りながら)「思い出もあるからさ、その時の」
シャボニーナ (顔をしかめ)「思い出?」
シャボナン 「そうだよ、この服着てた頃はこんなことがあったなァ、とかいう」
シャボニーナ 「呆れた…だから男ってダメなのよ。よくそんなおセンチなこと言えるわね。言ってて恥ずかしくない?どんな思い出があるのか知らないけど、いつまでも過去にすがってどうすんのよ?」
シャボナン 「え?でも別に女の子の思い出とかそういうんじゃないんだ」
シャボニーナ 「はあ?」(大きく顔をしかめる。声を荒げて)「私はそんなこと一言も言ってないでしょうが。あなたが女の子とのどんな思い出があろうが私には関係ないことよ。バッカみたい」(席を立とうとする)
シャボナン (慌てて)「ゴ、ゴメン、なんだか分からないけど謝る。ボクが悪かった。だから話を元に戻そうよ。ボクは固形石鹸の問題について考えようとしてただけなんだ。ゴメン、本当にゴメン」(頭を下げる)
シャボニーナ (目を細めて小さく息を吐く)「本当にしょうがないわね…まあ、いいわ。今回はあなたが考えている真面目なことに免じて許してあげるわ」(ソファに腰を下ろす)
シャボナン 「あ、ありがとう、分かってくれて…(小さい声で)とかいってホントに女ってのは何考えているか分からない…」
シャボニーナ 「何か言った?」
シャボナン 「え?あ、言ってません、何にも」
シャボニーナ 「そう…そうそう、それでさっきの話だけど、現実的なことを言えば、やっぱり最後はネットに入れるとかするしかないんじゃない?小学校の蛇口とかによくぶら下がっていたじゃない、ネットに入れた石鹸が」
シャボナン 「ネットかあ」(浮かない顔で)「でも、あれ、あんまり美しくないんだよね。玉ねぎの赤いネット…それともみかんだったかな?」
シャボニーナ 「え?何言ってるの?今どき玉ねぎのネットに入れてる人なんていなくてよ」
シャボナン 「え?そうなの?」
シャボニーナ 「当たり前じゃないの。いったいいつの話をしてるのよ。今はインターネットでなんでも買えるのよ。石鹸用のネットもたくさん出てるわ。例えば…」(足元のバッグからIpadを取り出し、タッピングする)「ほら」(石鹸のネットの画像を出して見せる)
シャボナン 「本当だ」
シャボニーナ 「こういうの、いっぱいあるのよ」(タッピングを繰り返しながら)「この中に小さくなった石鹸を入れれば最後までしっかり使い切ることができるわ」
シャボナン 「ふーん、面白いね」(うかない表情)
シャボニーナ (シャボナンの顔を伺いながら)「言葉ほどには面白くなさそうね」
シャボナン 「そんなことないよ」
シャボニーナ 「また…顔に書いてあるわ」
シャボナン (言葉を選びながら)「実はね、ボクもこういうのがあるのは知らないわけじゃないんだ」
シャボニーナ 「あら、そうだったの」
シャボナン 「うん、これを使ったら一応最後まで使えるようになるというのは分かるんだ。小さくなった石鹸も使えるというのはね…でもさ」(言いにくそうに)「こういうの使ったら肝心な固形石鹸の姿が見えなくなっちゃうんだよ」
シャボニーナ 「姿?」
シャボナン 「そう、姿。ボクは固形石鹸を最後まで愛でながら使いたいんだよ」
シャボニーナ (黙ってシャボナンのことを見つめる)「石鹸を愛でながら…?」
シャボナン (力なく笑って)「ヘンだろ?ボクってヘンなんだよ」
シャボニーナ 「ヘン、といえばヘンね。そこまで考えて固形石鹸を使う人はさすがにこのシャボン宮殿にもいないと思うわ。でもそれがあなたの言う…」
シャボナン 「石鹸愛」
シャボニーナ 「…なのね、今分かったわ」
シャボナン 「だからさ、石鹸を隠さないで最後まで使い続ける方法を知りたいんだよ、ボクは」
シャボニーナ 「でも…それは無理だと思うわ」
シャボナン 「えっ?」
シャボニーナ 「それは――最後まで石鹸を愛でながら使い切るというのはムリ、って言ったの」
シャボナン 「ムリ…」(ガックリする)
シャボニーナ (背筋を伸ばして向き直る)「あのね、シャボナン、よく考えてね。――石鹸を最後まで使い切ってあげたい、同時にその姿が最後まで見えるものであってほしい、でもネットやスポンジに入れるのはイヤだ――それって単にあなたのわがままよ。あまりにも理想ばかり追いかけすぎだわ」
シャボナン 「でも理想を追いかけるのは大切なことなんじゃ…」
シャボニーナ 「そうね、理想に向かって努力するのは大切よね、それを否定はしないわ。でもね」(深呼吸する)「時には何かを切り捨てなきゃいけないこともあるの。あれもこれもすべて自分の理想通りに叶えたいといっても無理なこともあるの。もちろん、中にはあれもこれも手に入ると考えることによって本当にそれが叶うという時もあるかもしれない。そういう考え方をするのは大事よね。でも今回の場合は違うわ。つまり、ネットやスポンジに入れて最後まで使い切るかわりに石鹸の姿を愛でることをあきらめるか、あるいは、そのままの状態で使い続けて、最後は折れて小さくなってしまうことを見届けるか、どちらか選ばなければいけないのよ。何かしらの痛みに耐えなければならないの。そのことを淡々と受け入れることが大切なのよ。それが人生なの」
シャボナン 「人生…」(頬をポリポリと掻く)「なんだか大げさな話になってきた」
シャボニーナ 「大げさも何も、あなたは石鹸の妖精なんだから、これは人生そのものでしょ?それに避けては通れないって言ったのはあなたじゃないの」
シャボナン 「確かに言ったけど」(首をすくめ)「あまり固い話は好きじゃないんだ」
シャボニーナ 「まあ」(目を見開き)「自分から言い出しておいてよくそんなことが言えるわね」
シャボナン (やや焦って)「ゴメン、また悪いこと言った。でも分かったよ。現実に即して考えればそんな方法はないってことだね」
シャボニーナ 「そう。誰もそんなことまで考えないんだから。折れたら折れたでしょうがないのよ」
シャボナン 「…かもしれない」(あとは小声でつぶやくように)「現実的なニーナに聴いたボクが間違っていたのかもしれない。女の人のほうが現実的だから。こういう場合、男のほうがロマンティストなんだ。男と女の考えが平行線をたどるのはそのことによるんだよな。どうやらこの話はここで打ち切りにした方がよさそうだ…」
シャボニーナ (耳をそばだてて)「なんて言ったの?」
シャボナン (仰天して)「えっ!…い、いや、その、なんだ、…あ、そうだ、今度その石鹸用のネット買ってみるよ、そうしようっと」(そう言って部屋から出ていく)
シャボニーナ (天を仰いで)「ほんとにいやんなっちゃう。男ってどうしてああ勝手なのかしら。だいたい自分のことしか考えていないのよね。ウジウジしてたと思ったらそのあとはもういい、なんて。真面目に相手になって損しちゃったわ。紅茶も冷めちゃったし…もう」(ポットを持って立ち上がり、部屋を出ていく)「マルコ・ポーロ、入れなおそうっと」