アレッポ before bath
いつものソファ室。シャボナンが入ってくる。ソファではシャボニーナが手にしたIpadの画面に見いっている。冷めかけた紅茶。
シャボナン 「あれぇ、深刻な顔しちゃって、どうしたの?…ははぁ、さては好きな芸能人の婚約発表でもあった?…あ、ひょっとして…」(右手で口を覆うしぐさ)「でき婚だったりして?あちゃー、そりゃショックだね。でもまあ、そういうのは最近珍しくないから。あまり気にしないほうがいいよ」
シャボニーナ (黙っている)
シャボナン 「おや?これはまた随分な痛手だったみたいだね。勝気なニーナ様が声も出せないなんて。誰、誰?一体誰が婚約したの?」(と言って上からIpadを覗きこむ)「何々…?えー、…パルミラの?世界遺産が?破壊される…え?あれ?」
シャボニーナ (顔を上げ)「ちょっと静かにしてくんない?」
シャボナン (すまなさそうに)「…ゴメン、まさかそんな真面目なニュースを読んでいるなんて思わなかったんだ」
シャボニーナ 「…いいのよ、別に」(Ipadに視線を戻す)「シャボナンはこのパルミラの遺跡がどこにあるかは知ってる?」
シャボナン 「…知らない」
シャボニーナ 「そうよね、私も知らなかった。中東のシリアという国にあるんだって」
シャボナン 「シリア…」
シャボニーナ 「そう、シリア。名前は聞いたことがあるでしょ?」
シャボナン (頷く)「内戦で大変なことになってるって、ニュースで言ってた」
シャボニーナ 「そう。つい先日、このパルミラ遺跡の神殿が爆破されてしまったの」
シャボナン 「そうなんだ…」
シャボニーナ (黙って頷く)
シャボナン 「世界遺産っていえば日本なら知床半島や日光東照宮とかだよね?」
シャボニーナ 「そういうことになるわね」
シャボナン 「それが破壊されるなんて…ひどいね」
シャボニーナ 「本当に…でもそれがシリアの、そしてシリアに限らず内戦状態にある国々の現状なの。平和な日本からは考えられないけど」
シャボナン 「うん…」
シャボニーナ 「私がこんなことを言い出したのは、実は、今回用意した石鹸がシリアで作られているものだからなの」
シャボナン 「え?シリアの石鹸なの?」
シャボニーナ 「そう」(脇のバッグから石鹸を取り出してテーブルに置く)
シャボナン 「あっ」(覗きこむ)「これ、知ってる。ネット通販なんかで見たことあるよ。ナントカの石鹸というやつでしょ?えーと、なんだっけな?」
シャボニーナ 「アレッポの石鹸」
シャボナン 「あ、そうそう。アレッポの石鹸。そうか、これはシリアで作られた石鹸だったんだ、知らなかった。実際に見るのは初めてだよ」(石鹸を手に取って眺める)「アレッポの石鹸『ライト』か…結構大きいね。ふむ?うーん…」( やや険しい顔)
シャボニーナ 「どうしたの?」
シャボナン 「あのさ、シリアの人々のことを思うとあんまり悪くは言えないんだけど…」
シャボニーナ 「けど?」
シャボナン 「…正直、これは見た目がビミョーだね」
シャボニーナ 「あら、どうして?」
シャボナン 「だってほら」(石鹸をシャボニーナに見せる)「石鹸自体があんまりキレイじゃないじゃないか。なんだかくたびれた感じがする。そう思わない?」
シャボニーナ 「くたびれたとは思わないけど…確かにすごくツヤツヤというわけではないわね」
シャボナン 「いやー、それどころか」(石鹸を裏返し)「この辺なんか黒ずんでるし、新品の石鹸に思えないんだけど。なんていうか、中古品をフィルムに包んで売っている感じ?」
シャボニーナ 「それは言い過ぎよ。ひょっとしたら作られてから時間がたってるのかも…フィルムをとってみたらどう?」
シャボナン 「そうだね」(そう言って注意深くフィルムを破る)
シャボナン 「どう?ニーナ?」
シャボニーナ 「…うーん、何と言ったらいいか」(困った表情)「まあ、こういうものなんじゃないのかしら」
シャボナン 「あのね、ニーナ」(石鹸を宙に掲げながら)「石鹸というのはね、あくまでこれはボクの持論なんだけど、その洗浄力もさることながら、もうひとつ大事なことがあるんだ。それはね、見た目なんだよ。石鹸の見た目。見た目も美しくなくてはいけないんだ。その石鹸を前にして、ほれぼれするような、思わずつかみたくなるような、思わず手に乗せてその重さを感じたくなるようなものでなくてはいけないんだ。そういう気持ちを抱かせてくれるのが固形石鹸なんだ。だから見た目はとても大事なんだよ」
シャボニーナ 「どうしちゃったの?そんなふうに語りだすなんて珍しいわね」
シャボナン (首を振って)「だって、ニーナ、ここは大事なところなんだ。これこそがボクら固形石鹸が液体石鹸と違うところなんだ。見た目の美しさ。ボクらの個性と言ってもいい。アイデンティティだよ。これは液体石鹸にはないものなんだ、彼らは容器に入っているだけだから。そこには何の美しさも、明確な主張も、こだわりもない。ある意味、それは彼らの限界でもあり、悲しさでもあるよね」(間)「でもボクらは違う。それぞれがはっきりとした、強い個性を持っている。色、形、大きさ、つや、匂い…一言では言い表せない個性の持ち主ばかりだ。ボクらは使われる前から自己主張している。それはする必要があるからだ。たくさんの石鹸の中から選んでもらうためにはまず目立たなくてはならない。興味を惹かなければならない。そしてその競演が固形石鹸を発展させてきたともいえるんだよ」
シャボニーナ 「うん…」
シャボナン (頷きながら)「そういう意味ではこの『アレッポ』はボクからするとスタートでつまずいている。なぜならこの石鹸をまじまじと眺めていたい、手に取ってみたい、そして泡立ててみたい、という気持ちにあまりなれないんだ。だって、ほら、見た感じがお世辞にも美しいとは言えないから」
シャボニーナ (首をひねりながら)「うーん…あなたの言いたいことは分からないでもないわ。確かにこれはカレンデュラクリームやグレープフルーツなんかと比べたら見た目が美しいとは言えないわね。その姿に心惹かれるというわけでもない。でもね」(アレッポの石鹸を手のひらに乗せる)「それがこの石鹸が使われないという理由にはならないの。それどころかこのアレッポは世の中の多くの人たちに支持されているのよ」
シャボナン 「どうやらそうみたいだね。でも不思議だなァ。ボクは使う前の形にすごくこだわるから余計にそう感じるのかもしれないけど、やっぱりこれは地味だよね。この石鹸のどこがそんなにいいんだろう?」
シャボニーナ 「あのね、シャボナン」(諭すように)「あなたの言うことも分かるわよ。そりゃ、見かけがキレイな方が魅力的だとは思うわ。でも、これは石鹸の話なの。見かけよりも大事なことがあるわよね。アレッポには見かけの地味さをひっくり返すようなすごい良さがあるのよ、きっと」
シャボナン (頷きながら)「そうなんだろうなあ、脱いだらスゴイんです、みたいなものがきっとあるんだろうなあ」
シャボニーナ (顔をしかめ)「…やれやれ、なんだか例え方に品がないわね。もう少し気の利いたこと言えないのかしら?」
シャボナン 「どうせ、ボクは品がないですよーだ」
シャボニーナ 「下品な妖精」
シャボナン (ムッとした顔をする)
シャボニーナ (笑いながら)「冗談よ、シャボナン。でもこの『アレッポ』にはきっと見た目以上の魅力があるのよ。それは使ってみて初めて分かるものだわ。だから、もうそろそろバスルームに行って試して来たら?」
シャボナン 「へーい。んじゃ、行ってきまーす」