若きシャボナンの悩み
宮殿のソファ室。シャボニーナが紅茶を飲んでいるところへシャボナンが帰ってくる。うつむき加減の様子。
シャボナン (部屋に入ったところで立ち止まりタメ息をつく)
シャボニーナ (チラリとシャボナンのことを見る)
シャボナン (横目でシャボニーナを見やってまたタメ息をつく)
シャボニーナ (呆れた様子で紅茶を飲む)
シャボナン (シャボニーナのほうをチラリと見て三たびタメ息をつく)
シャボニーナ 「あーもうっ!」(音を立ててカップを置く、ガチャン!)「一体さっきから何なのよ!言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ!黙って見てれば男の腐ったのみたいにグジグジグジグジしちゃって!」
シャボナン 「え?あ、それは…」(焦った様子で)「その、男の腐った、じゃなくて女の腐った、って言うんじゃ…?」
シャボニーナ 「何言ってるのよ!ウジウジしているのはあなたなんじゃないの!なのになんでそこで女の人が出てくるのよ!それって女の人に失礼でしょう?!」
シャボナン (慌てふためいて)「い、いや、そりゃそうだけど…一応、言葉としてはさ…」
シャボニーナ 「何が言葉としては、よ。さっきから煮え切らないのはあなたなんじゃないの。だったら男の腐ったの、で十分よ。余計なところで女性をやり玉にあげないでほしいわ。最近は女性の方がよっぽどはっきりしているんだから」
シャボナン (小声で)「…それは女性というか、キミ自身のことだったりして…」
シャボニーナ 「何か言った?」
シャボナン (背筋を伸ばして)「いえ、何も」
シャボニーナ 「はっきりしない男はダメよ」(と言ってからシャボナンのことを見つめて)「で、一体何があったの?何があなたをそんなにウジウジさせているの?」
シャボナン 「別にウジウジしてなんかいないよ」
シャボニーナ 「してるわよ、十分…一体何があったっていうの?」
シャボナン (おずおずと)「…実は今日、公衆浴場に行ったんだ」
シャボニーナ 「また?」
シャボナン (頷いて)「そしたらさ…」
シャボニーナ 「ああ分かった!(手を打って)「またあの3人にいじめられたんでしょ。シャンプーとコンディショナーとボディソープの3人組に」(思いだしたように)「コンディショナーじゃなくてリンスだったかしら?」
シャボナン (そっぽを向いて)「別にいじめられたわけじゃないよ」
シャボニーナ 「そうかしら?でもどうせまた何か言われて、言い返せなくて帰ってきちゃったんでしょ?あなたのいつものパターンじゃない。…バカバカしい、心配して損したわ」
シャボナン 「なんだよ、それ。人のことだと思って」
シャボニーナ 「だってそうじゃない」
シャボナン (タメ息をつく)
シャボニーナ (呆れた様子で)「で?あの3人になんて言われたの?」
シャボナン 「…お前たちには欠点がある、って」
シャボニーナ 「欠点?私たちに?」
シャボナン 「うん」
シャボニーナ 「私たちのどこに――そりゃ欠点ぐらいあるかもしれないけど――どこに欠点があるのかしら?」
シャボナン (少し黙った後、声音を変えて話し出す)「お前たち固形石鹸は大きな欠点がある」
シャボニーナ 「ボディソープが言ったわけね」
シャボナン (頷いてさらに続ける)「…何か分かるか?分からないだろうな。ならオレが教えてやる。お前たちはな、使っているうちに小さくなる。薄っぺらになる。そうするとな、使いづらいんだよ。分かるだろう?薄くて小さくなると泡立てることもやりづらくなる、うまく泡立たなくなる。だろ?そうなるとな、もう誰もそんな石鹸に手を出さなくなるんだよ。あるいはもし使われたとしてもな、たいていは泡立てようとするタオルやスポンジの中で折れる。必ず折れる。そして最後はかけらのまま使いきることなく排水溝に流されるってわけだ。つまり一言で言うとな、最後まで使い切ることができないというのがお前たち固形石鹸の大きな欠点なんだよ…」
シャボニーナ 「ふーん」(ちょっと考え)「でもそれを言うなら液体石鹸だって使っていると最後の方は出なくなってくるじゃない?プシュップシュッって押しても一番底に残っている部分は出てこないわよね?」
シャボナン (首を振って)「そのことも言った。でもあいつらは言うんだよ――バカだな、お前は。おれたちはな、基本、詰め替えなんだよ。分かるか、その意味が?液体石鹸はな、残り少なくなったところで新しいパックを用意して継ぎ足せばそれで全く問題ないんだよ。ノープロブレム。だから環境にも優しいと言われているんだ。お前はそんなことすら思いが至らないのか。さすが固形石鹸だけあって頭が固いな、生き残るためにはオレ達みたいにやわらか頭でないととてもこの競争社会を生き抜いていけないぞ…って」
シャボニーナ 「ずいぶん言いたい放題ね。で、あなたは何て言ったの?」
シャボナン 「別に、何も…」(ほおを掻く)
シャボニーナ 「何も、って、何も言わないで帰ってきたの?」
シャボナン 「うん、まあ…」(あごを触る)
シャボニーナ 「呆れた…あなたね、道端のお地蔵さんじゃないんだから少しは言い返しなさいよ。あなただって彼らの言うことをそのまま受け入れたわけじゃないでしょ?」
シャボナン 「そりゃ、そうだけど」
シャボニーナ 「だったらどうして何にも言わないで帰ってくるの?」
シャボナン (大きく息を吐きながら)「あのさ、ニーナ。言い返すとか、反論するとか、そういうことがボクにできないことくらい知ってるだろ?そうでなくてもあいつらはボディソープとシャンプーとリンスがいつも一緒になってつるんでるんだ。ガタイもデカイしさ、そんなやつら相手にボクが言い返せるわけないじゃないか」
シャボニーナ (しばらく黙る)「…そうね、あなたにそんなことを求めること自体、無理があるわよね」(間)「まあ、いいわ。でも、例え言い返せなくてもあなたの心の中ではあるのよね。あると思っていていいのよね、反骨心みたいなものが?」
シャボナン 「まあ、一応…」
シャボニーナ 「なんだか心もとないわね、大丈夫かしら?」
シャボナン 「大丈夫、ではあるんだけど、でもよーく考えてみたら彼らの言うことも一理あるんだ」
シャボニーナ 「一理ある?一体どこに?」
シャボナン 「確かにボクらは新品の時はそりゃキレイさ。真新しい固形石鹸の美しさは何物にも代えがたいと思う。でもさ」(それからおもむろにポケットからあるものを取り出し、テーブルの上に置く)
シャボニーナ 「何、それは?」
シャボニーナ 「これは…?」
シャボナン 「分かんないよね。最初の頃の堂々とした雰囲気はないもんね」
シャボニーナ 「っていうことは…」
シャボナン (頷いて)「そう、今まで使ってきた石鹸だよ。一つは『サボン・ド・マルセイユ・ビッグバー』、もう一つは『カレンデュラクリーム』」
シャボニーナ (黙って見ている)
シャボナン 「カレンデュラ・クリームのほうはともかく、マルセイユ石鹸のほうはかなりキテルでしょ。なんだか粉ふいてるみたいでさ。こうなるともう誰も使おうとしないよね」(間)「2つとも最初は立派だった。石鹸としての美しさがあった。気品があった。でもどんな石鹸であれ、その美しさや気品をずっと保ち続けることはできないんだ。いずれはこういう姿をさらすことになる。この先、この2つの石鹸がどうなっていくかは分かるよね?」
シャボニーナ 「…さらに小さくなって…」
シャボナン 「そう、さらに小さくなって使ってる途中で折れちゃう。折れるとどんどん小さくなって最後は排水口行き。だからやっぱりあいつらの言うことも間違いではないんだよ」
シャボニーナ 「うーん」
シャボナン 「そのことは実はボクも思ってた。実際、ボクら固形石鹸は最後はどうしても使いにくくなる。小さくなって見栄えもパッとしなくなるし、泡立てるのも難しくなる。無理にやろうとするとタオルの中で折れちゃう。だから最後まで使い切ることなく捨てることになる。捨てたくなくても細かくなって排水口に流さざるをえないことになる。それについてはボクもずっと心の奥底で疑問を感じてた。でもあんまり考えないようにしていたんだ。答えが出そうもないから。でも今日、あいつらに言われてそれが避けては通れない問題であることに気づいたんだ」
シャボニーナ 「うーん」(カップを置いて)「でも難しい問題ね、それは」
シャボナン 「でもこの問題をクリアしない限り、固形石鹸は使いたくないという人の気持ちを変えることはできないと思うんだ」